長い付き合いであっても奥さんや彼女の誕生日は大切に😨こんなこと言われても真に受けてはいけない! ー失敗事例付きで紹介ー
それ以来、ママの誕生日は毎年、緊張していますw
うちのママだけなのかわかりませんが、自分の誕生日がすごく大事みたいです。子どもが生まれてからはその傾向は和らぎましたが、ふたりでいる時は自分の誕生日がすごく大事だったみたいで。
自分が生まれた特別な年に1回の大切な1日。そんな風に思っていたのかもしれません。わたしはあまり自分の誕生日とか執着無かったもんで。。。
そんなちょっと昔の話。そろそろ誕生日が近づいてきた10年以上前のある日。
ちょっと誕生日のことが話題になったもんだから、なにかリクエストがあるのかと軽く聞いてみたところ。
『特に何もなくてもいいよー』なんて言ってくれました。
向こうとしては、そうは言いつつも何かを期待しているという【トラップ】だったのです。『期待しているよー』と言えばよかろう。
わたしは真に受けてしまった。『もういい歳になったし、何もなくていいのか』と。
これが大きな落とし穴だった。
誕生日当日、忙しかったこともあり、ケーキもプレゼントも外食もなく、おめでとうの一言くらいは言ったかもしれないが、本当に特に何もしなかった。週末に気が向いたらどっか行けばいいかな?くらいな軽い気持ちで。
そしたら、怒った。すごい怒った。
『誕生日なのに何もないなんてひどい』と。剣幕で怒るというより、心からの湧き上がる静かな怒り。余計に怖いw
いやいや、『何も無くていい』って言ったじゃないですか。。。
『そんなの真に受けるなんておかしい。誕生日は一番大切な特別な日なのに。』
ここで気づいた。あ、あれは真に受けてはいけなかったのだとw
これはとんでもないことになったとその時になって慌ててごめんなさいして。
次の日にお花とプレゼントを持って帰って、ちょっとしたお祝いをしたことにより、事態は収束に向かいました。
世の中の男性諸君には、この事例をケーススタディとして生かしてもらいたい。何もなくて良いとか、自分は何もいらないとか、そういうのは真に受けるな。
そこには大きな落とし穴がある。つまりそれは嘘だ。本心ではない。
気持ちとは形にしないといけない。
どんなに想っていても、どんなに心で感謝しても、具体的な行動に移さないといけない。
高価なものでなくていい、無理して見栄も張らなくていい。でも、なにか形としてわかるもの、具体的に見える形でわかることが大切だ。
今年もまた誕生日が来る。子どもが生まれて以来は、自分の誕生日に執着が薄くなっているようだが、これはきっと油断してはいけないパターンだ。
子どもに相談しつつも、Xデーを無事に乗り越えられるように、いまから緊張している。しくじるな、作戦を成功させろ。
こういうのをトラウマっていうのかな(笑)
もうすでにプレゼントは子どもと買ってきた。『あの日』だけは自分が主役になりたいんだ。油断するな。作戦を成功させろ。
このくらいの緊張感でパートナーの誕生日というものは迎えるべきであると考える。では、この記事を読んだ男性諸君の健闘を祈る。