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【努力の違い】努力しても成果が出ない時は努力量の違いをチェックしよう【マイペース<相対的<絶対的<圧倒的】

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努力は裏切らない。ただし、努力の量にもよる。

 

 

成果が出ないのは努力が足りないだけかもしれない。

成果が出ないのは努力が足りないだけかもしれない。

 

 

 

 

 

おはようございます😃メダカ皇帝です!

 

 

ブログの毎日更新、頑張っています。

今日でブログ開始から345日目

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となりました。

 

 

努力量には違いがある。マイペース<相対的<絶対的<圧倒的

 

 

※4つの違いを理解して努力しよう。

 

 

 

努力したにも関わらず人により成果が違うのはなぜか?

 

 

結論:努力の量が違う。

 

 

 

努力していない人なんてあまりいない。みんなそれぞれの事情や役割、制限の中で一生懸命努力している。仕事でもプライベートでも、成果を出したいと考えるなら努力が大切なことはなんとなく理解できる。

 

 

でも、人間としての時間や能力には大差がないわりに、成果となると差が出てしまう。これは一体どういうことなのだろうか。努力は誰だってしているのに。そんなナゾが朝から頭に浮かんでしまったので、今日はこれについて記事にしていきたい。

 

 

私の解釈としては、努力は同じではなく、その量に違いがあるからだと考える。

 

 

 

努力の量には違いがある

 

 

成果に違いが出てしまうのはなぜか?

成果に違いが出てしまうのはなぜか?

 

 

成果を望むならば、誰だって努力はしている。努力もせずに成果を望む人はあまりいないのだろうと思う。勉強、スキルアップ、練習、反復など、とにかく努力はしている。ここでいう努力は仕事に限らず、趣味でもいいし、副業でもいいし、勉強やスポーツでもいい。

 

 

でも、成果となると大きく差が開いてしまう。これには努力の量に違いがあるからではないか、と思っている。努力の量の違いとはなんだろうか。

 

 

『ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン。』確かに、確かにその通りだと思う。感動的で良い言葉だと思う。でも何の努力もせずにいればオンリーワンにすらなれない。

 

 

ナンバーワンにしろ、オンリーワンにしろ、成果を出さなければいけない。それには努力が必要で、大切なのは努力の量に思える。努力の量に違いがあるから、ナンバーワンやオンリーワンになれる。

 

 

努力の量が足りなければ成果が出せないわけだから、ナンバーワンにもオンリーワンにもなれず、『その他大勢』となってしまう。

 

 

『その他大勢』とならないためには努力の量の違いを理解する必要があると思うし、努力の量の違いを以下のように説明してみたいと思う。

 

 

この解釈は、間違っているとか、正しいとかではなく、わたしが考える努力の量の違いを記載したものなので、そのつもりで読んでいただけるとありがたい。

 

 

 

努力の違い=マイペース<相対的<絶対的<圧倒的

 

努力の違いが成果の違い

努力の違いが成果の違い

 

 

マイペースは努力量が足らないかもしれない

 

 

『自分なりに頑張っている』これはとても良いことだと思う。自分なりに努力することで、はじめて成果に結びつく。でも、その成果が果たして満足できない場合、『自分なりの努力』を見直す必要が出てくる。

 

 

成果を出したいと考えた場合、まずチェックしたいのが『マイペース』になっていないかどうかだ。マイペース、とても良い言葉だと思う。でも、成果を出したいと考えるならマイペースの度合いが心配になる。

 

 

マイペースというのは自分として満足なだけであって、成果が出せるかどうかとは別次元の解釈になってしまう危険性がある。『自分なりには一生懸命努力してきました。でもなかなか成果が出せません。』これが単なる自己満足によるマイペースな努力であれば、そこからまず抜け出す必要がある。

 

 

『単なる自己満足によるマイペースな努力』から抜け出すには、相対的、絶対的、圧倒的という努力量の違いを理解しておくと良いと思う。

 

 

自分の努力量が相対的にどうかを考える

 

たとえば5人のチームがあるとする。その中で成果を競い合ったり、結果を比較した場合に、満足度に差があったとする。さきほどの『自分なりの努力』が『単なる自己満足によるマイペースな努力』の場合、その努力量が5人中5位であれば、当然ながら成果としては5番目になってしまう公算が高い。

 

 

努力量が相対的に足りているのか、相対的に他者よりも多いのかを確認する必要が出てくる。努力には質もあるし、コツもあるだろう。でも、それは量をこなすことで高められる部分ともいえるし、そもそもの量が足りなければ質とかコツとか言ってる場合でもない。

 

 

成果が出せない、成果が物足りないと考えた場合には、まずこの相対的チェックが必要と言える。努力量が相対的に見て十分なのかを考え直してみよう。5人チームの中で競い合うのであれば、少なくとも5人中1位の努力量が必要だということ。

 

 

その努力は絶対的に足りているのか?

 

相対的に見て努力量がチームの中で5人中1位になったとする。それでたちどころに成果が出せるかというとそうとも限らない。なぜならそれは相対的に1位なだけであって、絶対的な努力量として十分かどうかとは別次元だからだ。

 

 

ちょっと野球に例えてみたい。努力の甲斐もあり、5人のレギュラー争いの中で1位になった。めでたくレギュラーの座を射止めた。でもそれはあくまでも草野球レベルの話であって、プロ野球レベルからするとまだまだ努力が足りない。

 

 

つまり、狭い世界の中で相対的に1位になったとしても、それで十分かどうかはまったく別であり、成果を出すことを考えると狭い尺度での相対的努力量が重要なのではなく、そもそもの絶対的な努力量が必要だということだ。

 

 

ある分野や業界の仕事、勉強、趣味、スポーツにおいて、成果を出そうと考えた場合には、そこで成果を残せるだけの絶対的な努力量が必要なわけで、『マイペース』とか『相対的にどうか』という次元では全然事足らない。

 

 

努力しても成果が出せないと懸念される場合は、絶対的な努力量が足りているのかをチェックする必要があるし、絶対的な努力量が足りていないのに成果を求めるようなことではいけない。

 

 

天才でもない、恵まれた環境にあるわけでもないという人並みの状況から成果で差を出したいと考えるならば、絶対的な努力量の多さが必要だし、それが足りていないのなら成果など望むべくもない。

 

 

絶対的な努力量が足りているかをチェックしよう。

 

 

その努力量が圧倒的か?

 

マイペースでもない、相対的に見ても絶対的に見ても努力の量が十分だったとしても、望むべく成果が出せない時だってある。これはもうどうしようもないとも思えるが、最後の点検をしてみよう。その努力の量が圧倒的かどうかだ。

 

 

プロ野球選手並みの努力ができるようになったとする。絶対的な量としては十分だ。でもプロ野球選手の中でも成果には差がある。イチロー選手やダルビッシュ選手のように、その世界の圧倒的な存在というものがある。イチローさんは引退したけれども。

 

 

こうした選手はこれまでに積み重ねてきた努力の量に圧倒的な違いがあるのだと思う。いま現在の努力だけではなく、過去に積み重ねた努力の累積量が土台として圧倒的に大きくあり、その上にさらに圧倒的な現在の努力を重ねている。

 

 

イチロー選手もダルビッシュ選手も知り合いでも友だちでもないので、わたしに彼らの努力量がなんたるかがわかるわけもないのだが、彼らが出した成果を考えれば、その努力量が並ではなく圧倒的であることはなんとなく推測ができる。

 

 

努力しているのに成果が出ない、マイペースでもない、相対的にも絶対的に十分な努力をしている、でも成果が出ない。そんな時は最終チェックとして、その努力が量として圧倒的であるかを確認する。

 

 

望む成果に対してお世辞にも圧倒的ではないとするならば、それは努力不足にすぎない。圧倒的に努力しないといけない。

 

 

 

まとめ 【努力の違い】マイペース<相対的<絶対的<圧倒的

 

努力は決して裏切らない(ただし努力の量による)

努力は決して裏切らない(ただし努力の量による)

 

成果を出すには愚直に努力をコツコツと積み重ねるしかないようだ。でも、その努力の量が望む成果に対して十分なのかはチェックする必要がある。さもないと努力したのに成果が出ないということになる。

 

 

わたし自身がこんなこと偉そうに言えた義理ではない。ブログで稼ごうとチャレンジしているが、いまだに十分な成果が出せてないからだ。

 

 

そんな時に思ったことが今日のテーマ。努力して成果を出したいと考えた場合に、マイペースではお話にならない。相対的に十分でも成果が出るとは限らない。絶対的に量をこなす必要があるわけだが、それでも成果が出ないかもしれない。だったら、圧倒的な努力量をこなすしかない。

 

 

いまの状態で迷ったり、悩んだりしていても仕方がない。質やコツを下手に考えたとしても、土台となる努力の量が本質的に十分とは言えないのなら、とにかく量をこなして見えないものが見えてくるようにならないといけない。

 

努力は決して裏切らない。努力は積み重なり累積されノウハウや経験、スキルとなっていく。でも中途半端な努力では成果は出せない。

 

 

努力しても無駄だとか、努力なんてしても裏切られるだけだなどと考えているヒマがあるなら、言い訳なんかしていないで努力の量を積み重ねる努力が必要だと思う。

 

 

ブログをやり始めて約1年、まったく稼げないに等しく終わってしまう2019年だが、来年の自分に向けて自戒の念をこめて、改めて努力の量について考え直してみたい。

 

 

本日の結論:努力は決して裏切らない、ただし努力の量による。努力は圧倒的に。