【ニュースを考える】わたしが考える実名報道についての意見
実名報道の必要性って何であろうか。
犯人の情報が共有されることでその犯人の再犯が食い止められる可能性が高まると思う。たとえば性犯罪者の情報。しっかりと共有されることで再犯を防ぐことができるし、次の別の性犯罪の抑止力にもなるだろう。
犯人の人権は?社会復帰の目を摘むのか?犯人の更生を期待するべき?
たしかに。一理ある。でも一理しかない。
再犯や模倣犯を防ぐことが公共の利益であると思う。次の被害者になってしまったら、犯人の人権や社会復帰を望むことができるだろうか。たぶん、誰もできない。
なのに、こうした重大な犯罪者の名前がいろいろな理由で伏せられることが多い。未成年だから?初犯だから?被害者を保護するため?
そこに一理すらあるか?
被害者の実名を報道することにどんな大義名分があるのか?
マスコミの多くが被害者の実名を報道することに大義名分をちらつかせている。
このたびのマスコミの『大義名分』をいったい何%の遺族が期待し、いったい何%の国民が望んだのか?たしかにどんな人が亡くなったのか、報道があれば見てしまうこともあると思う。望まない実名報道が、なにか社会に残すことがあるかもしれない。
でも、それが必要なことなのだろうか。実名報道を望む遺族もいる。一方で望まない遺族もいる。それでいいのでは?すべての実名を遺族の意向を無視して報道することに一理あるのか?
『そっとしておいてほしい。』そんな人たちに声をかけて前を向かせたいという人もいるのだろうか。おせっかいにもほどがある。友人知人ならまだわかる。
個人的な付き合いがない報道機関がこぞって実名報道することに何の大義名分があるのか。
知りたい欲求を利用した商売にすぎないと酷評する人もいる。
DaiGoさんがこの事件に関連した動画で得た収益は京アニに寄付するらしいです。まあ、これでDaiGoさんの知名度は上がったかもしれませんが、収益を目的としたわけではないということ。
視聴率や閲覧数、販売数を伸ばして収益を得た媒体や報道機関は寄付するのだろうか。大義名分があるのなら、無償というかむしろ困っている人たちに寄付をしてでも遺族それぞれが望む報道や取材をするべきだと思う。
法律とか報道の大切さとかとすり替えないでほしい。そっとしておいて欲しかった、誰にも知られたくなかったという遺族の気持ちはもう取り返せない。
わたしが考える実名報道は、遺族それぞれの意向にそった報道がなされるべきだということです。
そして、重大な犯罪の再犯や次の別の犯罪を防ぐためにも、加害者については実名報道をすべきです。
マスコミは庶民には暴けない隠された情報を報道する大義名分はある。
そのマスコミが被害者の遺族が望まない実名報道に大義名分をちらつかせるのはお門違いだと思っている。