プライドを捨て去ることができますか?【年下の上司、元部下の昇進、役職定年】将来を見据えた資産形成を
プライドを捨てきれないなら資産形成を
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となりました。
働き続けるという選択肢はある。
※資産が作れれば違った未来もある。
年功序列、先輩後輩という”調和”社会
年上は偉いものだし、先輩には逆らえない。この”調和”でこれまで社会は成り立っていた。地元でも、学生時代でも、会社でも、年長者は偉いし、先輩はずっと先輩。
10年後も、20年後も、上下関係が逆転することなんて、あり得なかった。
それで”調和”が取れていた。年長者や先輩の知見が、年下や後輩の方向性や思考において、お手本になっていたからだ。
でも、これは年々崩壊しつつある。理由は年長者や先輩の知見が、必ずしも爆速で進化していく未来において、お手本になるとは限らなくなっているからだ。
年長者や先輩の多くは、ポケベルやガラケーを使いこなしていた頃にスマートホンがこれほどまでに未来を変えるなんて予測していないかったし、Amazonが本屋さんや百貨店を駆逐するとは予想できていなかったし、大手家電メーカーや紙媒体のメディアが斜陽産業になるなんて本気で考えていなかった。
年長者や先輩の言うことを素直に聞いていたら、時代に取り残された。未来を切り開き、生き残るためには、過去の知見ではなく、未来への挑戦が必要なのではないか。
過去の成功体験や武勇伝は、年長者や先輩からしたらその人が営々と築いた【輝かしい功績】なのかもしれないが、年下や後輩からしたら【負の遺物】でしかない。
興味もないし、未来に役に立たない。せちがらい世の中になったものだ。
でも、年長者や先輩たちは、その輝かしい功績にプライドを持っている。これまでの社会はその”プライド”を振りかざして、年下や後輩にマウントを取ってある種の”調和”が成り立っていた。
上司はずっと上司のまま、先輩はいくつになっても先輩のままだった。年長者や先輩のプライドは未来永劫において保たれた社会だった。
年下の上司について
だが、近年においてはある程度の年齢になってくると、転勤や転職、社内人事によって、年下の上司というものに出くわすことがある。1つでも年下であれば、社内においては敬語を使ってくれていた存在だ。
呼び捨てにされ、先輩の講釈を聞かされるはずの年下が、上司に?
衝撃的かもしれないが、これが現状では当たり前になりつつある。先輩が必ずしも後輩よりも仕事ができるわけではないし、まして変化の激しい現代において、未来を切り開ける人材が先輩であるとは限らない。
年下とはいえ、上司。さあ、敬語を使わないといけない。
妙なプライドを捨てることができるだろうか。
元部下の昇進について
元部下が昇進することだってある。単なる年下の上司であれば、これまでの関係性や年長者としてのプライドも、慣れてくればある程度置いておくこともできるだろう。
でも元部下だったらどうだろうか。
自分が仕事を教えてきた。自分が育てた部下。自分が偉そうにマウントしていた時もあっただろう。でも、立場は逆転して今日からは上司。
妙なプライドを捨てることができるだろうか。
優秀な元部下であるから、元上司である先輩はほど良く立ててくれるかもしれない。でも、今日からきっぱりとドライに”くん付け”で呼び出されたら?業務命令を逸脱しない範囲で高圧的にマウントされたら?
あなたはそれでも耐えられるだろうか。
役職定年について
年下の後輩、元部下の昇進という下克上にも慣れたころにやってくるのが、役職定年。誰からも尊敬されるべき年長者が、突如として一般の社員に成り下がってしまう。
年長者だからと言う理由だけで、みんながヘコヘコされることはない。むしろ、チームの一員として、どうやって活用すべきなのかという”重荷”になってしまう。
一応、年長者だし先輩だから無下に扱う訳にもいかない。かといって、若い人たちのように活躍できるわけでもない。難しいチャレンジは突破できない。過去の知見だけでは存在感を出し切る事なんて到底できない。
こんな扱いを受けながら、60歳の定年まで頑張り、さらに65歳、70歳まで働き続けられるのだろうか。
でも、何もしなければ未来はこうなっていく。妙なプライドを捨て続けるしかない。
プライドを捨て去りたくないなら資産形成の準備を
これからの社会においては、妙なプライドはある程度は捨てていかないといけないだろう。でも、プライドを全てずたずたにされ、自分を捨て続けるばかりが、自分にとって本当に良いことばかりともいえない。
できれば、年下や後輩とのこうした競争に巻き込まれずに、のんびりと優雅な人生を送りたいという気持ちもあるだろう。
妙なプライドを捨ててまで働き続けなければならない理由はなんだろうか。生きるため、つまり生活の糧を得ないといけないから。
自分で自分を食わせていければ、妙なプライドも捨てる必要はないし、そもそもヘコヘコして働き続ける必要もない。
資産があれば、仕事や誰かに頼らなくても生きていける。完全なる自立とまではいかなくても、ある程度の精神的な豊かさが担保されれば、妙なプライドも完全に捨て去らなくても良いだろう。
未来を見据えて、少しでも資産形成を考えても良いのかもしれない。
まとめ 将来を見据えた資産形成を
未来は爆速で変化していく。こればかりは誰にも止められない。それに合わせて周囲の人や環境も変化していく。妙なプライドに周りは合わせてくれない。
10年先、20年先、30年先を見据えて、将来を考えていく必要がある。
妙なプライドを完全に捨て去り続け、”チームの重荷”として会社や組織にすがりつづけるのか。
それとも、
いまからある程度の資産形成を意識して、自立した生活ができるよう準備していくのか。
どちらの未来もいまからなら選ぶことはできる。
短期投資にはリスクがつきまとうけれど、10年先、20年先を見据えた長期投資ならリスクヘッジもしやすい。
将来を見据えた資産形成をしていきたいと、わたしは考えている。
資産形成にはいろいろある。金融投資だけでなく、副業とか、スキルアップも自分の資産になっていく。ブログやアフィリエイトも資産形成の一部になりうると思う。
将来を見据えて、まずは情報を収集しながら、いろいろとやっていくことを考えていく方が良いように思う。