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批判や悪口を気にするのはムダすぎるから気にしなくて全然大丈夫!

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批判や悪口はまったく気にしなくてOK!

 

 

 

 

相手チームの外野のヤジを真に受けてたら試合にならない

相手チームの外野のヤジを真に受けてたら試合にならない

 

 

 

 

おはようございます😃メダカ皇帝です!

 

 

ブログの毎朝更新頑張っています。今日でブログ開始から270日目、投稿した記事は461記事目、毎日更新は107日目、昨日のアクセス数は223、総アクセス数は48440となりました。

 

 

若手の優秀な課長が怒ってた

 

課長と打ち合わせの予定があった。すこし遅れて帰ってきたと思ったら、なんだかすんごい怒ってるぞ(/・ω・)/

 

 

めずらしいな、人望もあり、仕事もでき、物事に割と冷静に対処できる課長のはずなのに、明らかに怒りで震えてる。ちょっとこわーい。

 

 

どうしたのさ?と話を聞いてみると、明確な根拠もないようなまた聞き話を聞いた他の部門の課長から、自分たちの施策についてケチをつけられたそうな。

 

 

ま、批判や悪口は組織の常。たいした根拠もないような話から批判や悪口はだいたい生まれるもんや。そんなの気にしなければいいのにと思いつつも、当の本人はいままでに見たことないくらい怒ってる。たしかに、それは腹が立つわな。

 

 

悪口言うやつと何話しても悪口が返ってくるだけだから気にしないんだよ、って話をしてみるも、まったく怒りが収まらない。うわー、超怒ってる。

 

 

それにしても、集団とはどうしてこうも足の引っ張り合いや批判悪口、誹謗や小競り合いが起きるのだろう。あっちよりこっちの方が優れているとか、あいつより俺の方が正しいに決まっているとか、あいつらと俺らを比べると不平等だとか、ねたみ、やっかみ、いざこざが本当に絶えない。

 

 

 

組織や集団がうまくいかない理由って人間関係がすべてだなと思ってしまうくらい、いままでいろんなトラブルを見てきたが、そのほとんどは突き詰めれば人間関係だった。

 

 

 

批判と悪口を気にしないことが集団の中でやっていくためには必要

 

 

わたしも周りから謂れのないような批判や悪口を言われてきた。いや、たぶん今も言われているだろうw

 

 

でも、批判や悪口って全然無くならない。時には表立って言われるだけでなく、見えないところでも批判や悪口は消えたりしない。

 

 

自分や自分のチーム以外の人は、野球で言えば対戦相手の応援団だと思った方がいい。やじや冷たい視線が飛んでくることがあっても、本音でこちらを応援したり拍手が起きたりすることをそもそも期待してはいけない。

 

 

気にしないのが一番。

 

 

 

批判と悪口を気にしないためにできること

 

まず、その批判や悪口を言っている人が、どれだけ自分たちのことを考えて言ってくれているのかを考えてみる。

 

 

たぶん、自分や自分たちの状況、立場はほぼ理解できていない。一方的な決めつけで判断している。この時点で、もはや気にする対象ではない。

 

 

次に、そうした批判や悪口を言っている人が、自分や自分たちが究極的な困難に打ちのめされた時に力になってくれるのかを考えてみる。

 

 

たぶん、その人は何もしてくれない。困ったときに誰かが助けてくれるかもしれないなどと、そもそも期待してはいけない。

 

 

だから、その人が助けてくれるなんてことは100%ないし、仮に助けがあったとしてもそんな人の助けにすがってはいけない。だから、自分にとって、まったく利することのない関係性であると理解できる。

 

 

 

最後に、その批判や悪口に言われたとおりに従ったとしたらどうなるのか。仮にそれでうまくいかなかったら、その人が責任を取ってくれるのか。たぶん、何もしてくれない。

 

 

あなたの言うようにやりましたよって言ったとしても、やり方が悪かったの、他の問題にすり替えたり、ろくなことにならない。

 

 

 

批判や悪口には一瞥の価値もない。だから気にしなくてよい。

 

 

批判や悪口を言う人が責任を取ってくれるわけではない。こちらのことを理解しているわけでも、本当にこちらを思いやっているわけでもない。

 

 

意見と言えばきれいな言い方だが、一方的に何かを相手に言ってくるようなものは批判と悪口に過ぎない。これを真に受けてはいけない。

 

 

それを真に受けたところで、物事が改善したり、良い方向に行くとは思えない。もし何か救いや教えを求めるなら、ビジネス本や過去の歴史小説などに答えを求めた方が良い。

 

 

無責任な対戦相手の応援団のいうヤジをいちいち真に受けていて試合ができるだろうか。そこに救いや教えを求めている選手がいるとしたら、きっとこう言いたくなるだろう。

 

 

『そんなの気にすんなよ!』

 

 

だから、批判や悪口はまったく一瞥の価値もないし、自分にはまったく関係ない世界の出来事だと解釈するべき。そんなことを気にしている時間があるなら、もっと別の努力をした方が合理的と言える。

 

 

 

世の中、批判や悪口だらけ

 

ニュースやツイッター、テレビのコメンテーター、もう世の中は批判と悪口だらけ。そのことにまったく関係ない人が、さもこれが正論だと言わんばかりに批評している。

 

 

そして、どこかで何かあると、どこの誰に向かって言っているのかよくわからないが謝罪する。当事者同士で解決すればOKでしょうに。

 

 

誰かが批判されるとやたらと世間が騒ぎ出す。そして謝罪すると、それで世間が妙に落ち着く。なんじゃこれ。

 

 

こうした誰得なのか?ということが毎日繰り返されている。ニュースやテレビは本当に見ない方がいいと思う。朝や昼の時間帯にやっている情報番組は時間を浪費するばかりでなく、自分の考えや物事の見方をゆがめてしまう。

 

 

自分に無関係の事件事故について、そんなに自分の時間を費やして何になるのか。気になることはネットで調べれば十分だし、自分に役立つ情報だけを自分に集約すればいいだけ。

 

 

 

こう考えると本当に世の中は批判や悪口であふれている。でも、もっと有益な情報や素晴らしい出来事はいっぱいある。もっとメリットあることに自分の視線や関心を向けた方がいいに決まっている。

 

 

批判と悪口を気にしない まとめ

 

なんだか批判や悪口についての『批判や悪口』になってしまったような気がするw

 

 

批判や悪口は古来より無くならないわけだから、そこに何か思いを馳せてもまったく時間の無駄であるし、救いや教えなど何もない。

 

 

でも、世の中には批判や悪口に負けないくらい、有益な情報や素晴らしい景色がたくさん広がっている。そっちを考える方が頭も心も解放されて気持ちがいい。

 

 

批判や悪口を気にするのか気にしないのか、結局は自分が決められること。

 

 

自分として精いっぱい頑張っていて、本や歴史から幅広い見識をきちんと学んで、人を騙したり欺いたりするわけではないのなら、誰から何を言われる筋合いがあるだろうか。

 

 

周りのいうことなど気にせず、自分の良いと思ったことをしっかりやっていけばいい。きっと悪口を言われた方の課長もそのように思い直して、今日は出勤してくるだろう。

 

 

そして、別部署の批判や悪口を言っていた課長は、今日もどこかの誰かについて批判や悪口を言うのだろう。さも自分が正論であるかのように。

 

 

どっちの課長が優れたリーダーであるかは明白だ。どっちのチームや部下が幸せであろうかと考えただけでも、すでに勝負にすらなっていない。

 

 

 

因果応報という言葉がある。心無い批判や根拠の乏しい悪口はすべて自分に返ってくる。批判や悪口を言うと、その時は気分が高揚して気持ち良いのかもしれないが、いずれ自分の首を絞めてしまう。

 

 

 

 

 

だから、批判や悪口などまったく気にする必要がない。